翔ぶが如く

久しぶりに「竜馬がゆく」(司馬遼太郎著・文春文庫)全8巻を読み返した勢いで、「翔ぶが如く」全10巻を大人買い、読了。

時は明治維新直後。
幕府を倒しただけで新しい政府が立ち上がるはずもなく、倒した側の薩長勢力は列強諸国に侵略されないために「近代国家を作る」という命題に突貫工事で取り掛かる。

「攘夷」を掲げて幕府を倒した勢力だが、手本にするのは当然ながら海外の列強と呼ばれる国々。

幕府を倒す中心にいた人物たちが自ら海外に留学し、様々な制度を制度ごと輸入して明治政府を作り上げた。

廃藩置県」「秩禄処分」「廃刀令」「断髪令」「徴兵令」などにより自分たちの出身階層である藩、武士を完全に否定(自分たちの代表が旧政権を倒して新政府を作ったと思っていた武士達はさぞ驚いたことだろう)、中央集権体制を確立する。
「地租改正」で米で納めていた税を貨幣で納めさせることとし、安定的な税収を確保すると同時に農民を貨幣経済に取り込み。土地の私的所有が開始される。
「警察制度」「郵便制度」などの諸制度もこの時期に開始。

現在にいたる相当部分の制度がこのほんの短い期間に導入されていることに驚く。。。

後半の西南戦争にたどりつくまでは人物が駆けまわるでもなく、「竜馬がゆく」などに比べると読みにくい。壊すのは華々しいが作るという仕事はコツコツと地道な努力が必要ということか。とはいえ、日本の近代史を知る上では格好の材料。


もともと市民が起こした革命ではなく、旧時代の支配層であった武士が革命を起こして作った政府だけに「お上」が強く、それが今に続く仕組みの原点になっているなど読んでいて気付かされることもたいへん多い。


後半は西南戦争
西郷が鹿児島で「もうこのへんでよか」と言ったという程度の知識しかなかったのだが、鎮圧まで半年以上かかり、薩軍が鹿児島から熊本、宮崎へ移動し、さらには大分との県境まで行って、政府軍に完全に包囲されながら道なき山道を逃げに逃げて鹿児島まで戻っていたことにとても驚いた。道中すべて徒歩(!)。

これまで恥ずかしながら疑問に思ったことすらなかったが、反政府の乱の頭目である西郷隆盛銅像が堂々と上野の一等地に飾られている理由にも納得。

特権から面子まで全て奪われ溜まっていた武士の不満に担がれた西郷がすべてひっくるめて旧体制とともに滅んだとも言える西南戦争。封建体制の終了を告げる号砲だったのか。