ニッポンには対話がない


ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生

数年前から、「OECDのPISA調査」についてマスコミで取り上げられるようになった。
PISAの順位が低い
ゆとり教育により子どもたちの学力が落ちたせいだ!
→子どもの授業数を増やせ!教科書を厚くしろ!
という論調だ。

日本のマスコミの、誰か(何か)を悪者にして「お前が悪い!」「謝れ!」「やっつけろ!」というようなヒステリックな報道には辟易としていて、未来を見据えた落ち着いた意見が出てきにくい原因となっていると思うのだけど、それはとりあえず横においておいて。。。


そもそもPISAとは何ぞや?昔から確か国際的な学力調査のようなものはあったと思うのだけど、PISAという言葉を聞いたのはここ数年だよな・・・。
などと思っていたのだけど、この本を読んでストンと腑に落ちた。


イギリスでは第二次大戦後に移民が増え、移民への差別、排斥運動が起こり、コミュニティが崩壊した。
そしてコミュニティ再生のためにスポーツも含めた芸術文化とか表現教育とかコミュニケーション教育とかを徹底的にやっていった。
文化も宗教も異なるから、最初はめんどくさいことがあるけれども、結果的には、いろいろな文化や人間によって成り立つ国や社会のほうが大きな力を発揮するんですよ」っていう教育を子供のうちから行った。
OECDがPISAのような調査をするということは、「世界のルールは変わりました。いま、世界の基準はこれですよ。要するに多文化共生ですよ。多文化共生は最初はめんどくさいけれども、確実にそのほうが企業も国家も自治体も学校も大きな力を発揮しますよ」ということを言っているわけなんですね。
(147〜150ページ、抜粋して引用)


「最初のめんどうくささをできるだけ軽減するような能力」、つまり「価値観、文化を共有していない人とコミュニケーションがとれる」能力を測るためのものがPISAなのだ。


日本の少子化
→経済力を落としたくないのであれば移民を大量に受け入れる必要がある。(すでにきつい仕事で外国人が担う割合はどんどん上がっている。製造業の工場や居酒屋の従業員などではとても多い)
→価値観、文化を共有していない人とコミュニケーションがとれるように、論理的思考力や表現力、対話力などを磨きましょう。
などというのがロジックであり、PISAによって自分たちの国の現状を知り、今後国をどうしていくのかという戦略に基づき学校教育のどの部分をどうしていくかを考える。PISAはそのためのツール、ということですね。
いやー全然知らなかった(汗;)。
っていうか、ほとんどの人が知らんのでは??
「順位が悪いのはけしからん!勉強時間を長くしろ!」というのと、上記のようなことを理解し、「学校教育でどのような能力を伸ばすためにどのような教育を行う必要があるのか考え実行する」のでは全く違うことだと思うのだけれど。。。


PISAはテスト対策をやって1番を取るようなものではないのだけれど、日本の調査団はPISAの成績の良かったフィンランドへ視察へ行き、「どうしたら良い点を取れるか」と聞くそうだ。
ヨーロッパの国々の調査団が聞くことは、「今後、移民が増えてきたらこれからどうするつもりなのか、国としてどのような方向へ進むのか」ということ。

ふとクラスの3分の1は外国人などという学校があると最近聞いたことを思い出し、これは待ったなしの問題だと思った。


最初はなぜ平田オリザさんとの対談なのだろう、と思ったのだけど、演劇というものが表現教育にとても有効なことも理解できた。
よく「人の立場にたって」というけれど、その人になりきるのではなく、「もし自分が人の状況に置かれたらどう思うだろう」と考え、クラスで発表し、いろいろな違う考えが出てくることを経験する。あ、皆違うんだ。というようなことを経験する。
その上で、たとえば演劇という1つの作品として仕上げるためにどうするか、というようなことをやってみる。
なるほど。演劇は素晴らしい表現教育だ。
答えを与える教育の対極にあるものだから、先生も保護者も相当意識を変える必要がありそうだ。


多くの人に読んでほしい1冊。
星5つ。☆☆☆☆☆