ローマ人の物語32 迷走する帝国(上)

公正な税制こそが善政の根幹と言われる由縁だが、なぜなら善政とは正直者がバカを見ないですむ社会を実現することだからだが、税率を可能な限り低く抑えしかもそれを上げないことも、善政を目指すならば忘れてはならない重要事になる。

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権利というものは、いったん与えたからには再びそれを取りあげるのは、ほとんど不可能である

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全員が平等でなければならない社会では、い分子、即ち他国人に対して、閉鎖的になるのは当然の帰結である。昨日まで他所者であった人を、今日からはわが家の一員だとして同等の発言権を与えて仲間に加えた場合を考えてほしい。昨日までの長い歳月を「わが家の一員」でがんばってきた側から、反撥が起こるほうが自然ではないだろうか。全員平等とは、異分子導入にとっては最もやっかいな障害になるのである。

(40〜41ページ)

階級の細分化が、異分子の導入を促進させる結果になった。なぜなら、各階層間の流動性さえ機能していれば、同質社会よりも異質社会のほうが風通しを良くするには都合がよい。他国人のような異分子に対しても、まずは最後列に並んでください、その後の前進はあくまでもあなたしだいです、と言えるからである。

(45ページ)

人間は、タダで得た権利だと大切に思わなくなる。現代の投票時の棄権率の高さも、これを実証する一例になるだろう。なぜなら、実利が実感できないからだ。
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カラカラによって、ローマ市民権は長く維持してきたその魅力をうしなったのである。魅力を感じなくなれば、市民権に付随する義務感も責任感も感じなくなる。そしてこれは、他民族多文化他宗教の帝国ローマが立っていた、基盤に亀裂を生じさせることにつながった。誰でも持っているということは、誰も持っていないと同じことなのだ。この現象を現代風に言い換えれば、ブランドは死んだ、ということでもあった。
(50〜51ページ)

政策とは、将来にわたっていかなる影響をもたらすかも洞察したうえで、考えられ実施されるべきものと思う。そして、深い洞察とは反対の極にあるのが浅慮である。
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直接民主主義とは、扇動者とそれに同調する幾人かがいれば容易に決定にもっていけるという面もある。
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権力者は、たとえ憎まれようとも軽蔑されることだけは絶対に避けねばならない。
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かつてのペルシア帝国再興という、五百年以上も昔のことを持ち出す非合理を非難してもはじまらない。人々を一つの運動に巻き込むには、合理を唱えていては成功はむずかしいのが、人間性の一面でもある。
(163ページ)

現実主義者が誤りを犯すのは、相手も現実を直視すれば自分たちと同じように考えるだろうから、それゆえに愚かな行為には出ないにちがいない、と思いこんだときなのである。
(164ページ)

「理」さえあればやってよいということにはならない。一寸の虫にも五分の魂があるのが、人間の世界なのだから。
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芝居を打つからには、一瞬で決めてしまわねばならない。懇々と説得したのでは解決できなくなったから芝居を打つのであって、このような場合に最も不適切なことは、時間をかけることである。
(186ページ)