ローマ人の物語33 迷走する帝国(中)

強敵と常に向かい合っている兵士が、最強で最精鋭の戦士になる。
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正直に本心を吐露すること自体は悪くない。だが、それをしてよいときかよくないか、と、してよい相手かそうでないか、のちがいは厳として存在する。
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兵士たちの胸の内に不満がくすぶりはじめるのは、戦闘期ではなくて休戦期なのである。そして不満とは、絶対的な欠乏
からよりも、相対的な欠乏感から生れることのほうが多い。
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三世紀のローマ帝国の特質の一つは、政略面での継続性を失ったことである。それ以前は、たとえ悪帝と断罪された人の死後に帝位を継いだ皇帝でも、先帝の行った政策で良策と判断したものは、継続しただけでなくさらにそれを発展させるようなことまで、迷うことなく行ってきたのだった。基本的な政策の継続は、これによって保証されたのである。皇帝の治世が長かったことだけで、継続性が保証されたのではない。継続することがエネルギーの浪費を防ぐ方法の一つであることを、自覚し認識していたからであった。三世紀のローマ帝国は、持てる力の無駄遣いに、神経を払わないようになっていたのである。これもまた、ローマ人がローマ人でなくなりつつある兆候の一つであった。
(82〜83ページ)

教会は、宗教を旗印にかかげていようと組織であることでは変わりはない。そして、組織として機能していくためには、馬車でもあるかのように、純粋な信仰心と冷徹な組織力という二つの車輪が不可欠であり、そしてその両輪を回すのに必要な油も、欠くことは許されないのである。
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