震災1週間

3月11日(金)
午後2時46分に大地震発生。
建物に入ったところだったのだけど、慌てて外へ。
多くの人が車道の真ん中に避難しており、車も全て止まっている。
電柱がありえないくらい揺れていて、そのまま地面に倒れるかと思った。

その後も大きい揺れが2度、3度と続く。
後でニュースで知ったことだが、震源宮城県沖から南の方向へプレーとに沿って移動したらしい。
マグニチュードも何度か訂正されたが最終的には9.0。

家族が心配だったが電話もメールも通じず。
子どもたちはまだ学校にいるはず、と自分に言い聞かせる。
夕方になって妻からのメールが入り、電車が止まっているから歩いて帰るとのこと。
夜になって子どもたちと会えたというメールが入り、安心。娘は体育の授業中、息子は授業は終わっていたけれど、まだ学校にいたらしい。


幸いにも会社の被害は棚が1つ倒れたくらい。
人的被害はなし。

電車が全て止まっているので数少ない車と自転車で社員をどう帰宅させるか計画。
まずは小さなお子さんのいるお母さん。
あとはなるべく同一方向の人をまとめて車で。
夕方2台の車を送り出したのだけど、戻ってきたのは夜中の1時半&明け方4時。
大渋滞で大変な中ドライバーになってくれた社員に感謝。
夜11時ごろ一部の私鉄と地下鉄が動き始めたので、ほとんどの社員が帰途につくことができた。
朝まで残っていたのは数人。
僕は朝6時半ごろに帰ったのだけど、電車も空いていて楽に帰ることができた。
結果論から言うと、無理に帰るよりも交通機関が回復するまで待つ方が正解だったかも。

教訓がいくつか。
・どうしても帰らなくてはならない人以外は会社に留まるのも有効。車はなるべく使わない方がよい。
・大災害が起こった時に通じるのは公衆電話>固定電話>携帯電話
・会社に置いてあった災害対策用保存食(ビスケット)が役に立った
・会社周辺や自宅近くなど、ピンポイントの情報を得るのにはSNSツイッターが有効
・携帯の電池がなくなったときのために乾電池で動くツールを持ち歩くとよい



3月12日(土)〜13日(日)
宮城県岩手県の被害状況をテレビで見る。
地震に続き現地を襲った津波の被害に茫然。
こんな大きな津波が起こりえるなんて、想定外だったに違いない。
一人でも多くの方が救われるようただただ祈る。


一方東京では余震は発生するものの鉄道は動いており徐々に平静を取り戻す。
ガソリン、乾電池などが買われており在庫がなくなっているとの報道。
スーパーも通常よりも人が多い。
うちもそうだが多くの人が食料品などなるべく在庫をもたない生活をしているので、多少の在庫を持とうとするだけで需要は急増する。一方で供給はいつもよりも減っているので品不足が起きている。

13日は両親とまーさんの誕生日のお祝い。
いつも混んでいる食べ放題のレストランが空いていた。
一方、テレビが震災報道一色のためか書店は人が多い。



3月14日(月)
朝、会社へ行こうとするとJRが動いていない。
東急線は動いているようだが人が溢れている。
東京電力による計画停電が予定されており、各地の鉄道に大きな影響が出ている。
一度帰って車で出勤しようと思ったら子どもたちが急遽休校になって家に居た。
慌てて両親に来てもらうことにし、昼から出勤。
ガソリンスタンドはどこも品切れで開いていない。
たまたま1ヶ所開いている所があり給油できたが10ℓのみ。


3月14日(月)〜18日(金)
津波により福島の原子力発電所が危機的状況になっているとの報道。
津波により電源喪失し、燃料棒の冷却ができなくなったため冷却水が蒸発し、水素爆発が発生。
地震津波がきて、これから救出と復興かと思っていたら、現在進行形の危機、それも特大の危機が続いていた。
自衛隊、消防、警察、東京電力、政府、インフラ関係の方々が身を危険にさらしながら頑張ってくれている姿に深謝。
津波の被害も想像以上で、道路が寸断されているため避難所に食料や燃料が行き渡らないという報道。
一人でも多くの方が助かりますように。

個人的には、できることをやっていこう。
・子どもたちの心のケア(震災関係のニュースを見過ぎないこと、なるべく楽しい気持ちで毎日過ごせるように)
・節電
・募金
・普段の生活を心がけて、経済を回すこと