ローマ人の物語8 ユリウス・カエサル ルビコン以前(上)

イタリアの普通高校で使われている、歴史の教科書
「指導者に求められる資質は、次の五つである。
知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。
カエサルだけが、このすべてを持っていた」
(前書き)

「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」
(前書き)

生涯を通じて彼を特徴づけたことの一つは、絶望的な状況になっても機嫌の良さを失わなかった点であった。楽天的でいられたのも、ゆるぎない自信があったからだ。そして、男にとって最初に自負心をもたらせてくれるのは、母親が彼にそそぐ愛情である。
(40ページ)

八、九歳から十六歳までの間に学ぶのは、課目別に分ければ次のようになる。
ラテン語ギリシア語。
言語を効果的に使うことで適切に表現する技能を学ぶ、修辞学。
論理的に表現する能力を会得するための、弁証学。
それに、数学と幾何学と歴史と地理。
ここまでの七学課が、・・・一人前の人間には必要な「教養学科」になる。
この七学課すべてを、一人の教師が教えるのである。経済的な理由ではなくて、教育上の理由からであった。
(45ページ)

七課目の教養学科の他に、天文学や建築や音楽を教える場合もあった。こうなると、相当なギリシアかぶれである。ギリシア人が音楽教育を重視したのは、楽器を奏でる技能の習得というよりも、調和の感覚をみがくためだった。
(47ページ)

軍団での兵役や行政事務職は有給でも、会計検査官からはじまり執政官にいたる国家の要職は、ローマでは無給と決まっている。無報酬で公職に身を捧げる人生というわけで、これをローマでは「クルスス・ホノルム」と言った。意訳すれば、「名誉あるキャリア」というわけだ。
(116ページ)

カエサルは、モテるために贈物をしたのではなく、喜んでもらいたいがために贈ったのではないか。女とは、モテたいがために贈物をする男と、喜んでもらいたい一念で贈物をする男のちがいを、敏感に察するものである。
(124ページ)

ローマ人は、家族を大切にする。それに、多神教の民族だ。この二つの流れが出会うとき、ごく自然に祖先を敬う気持が生まれる。
(127ページ)

絶望は、人を過激にする。とくに、生まじめで思いつめる性質の人ほど、容易に過激化しやすい。
(159ページ)

理性に重きを置けば、頭脳が主人になる。だが、感情が支配するようになれば、決定を下すのは感性で、理性のたち入るすきはなくなる。
(177ページ)

社会の下層に生きる下賤の者ならば、怒りに駆られて行動したとしても許されるだろう。だが、社会の上層に生きる人ならば、自らの行動に弁解は許されない。ゆえに、上にいけばいくほど、行動の自由は制限されることになる。つまり、親切にしすぎてもいけないし憎んでもいけないし、何よりも絶対に憎悪に目がくらんではならない。普通の人にとっての怒りっぽさは、権力者にとっては傲慢になり残虐になるのである。
(179ページ)

女が醜聞もいとわないくらいに怒るのは、みついだ男が無情に縁を切ったあげく寄りつきもしなくなったかあらである。
(208ページ)