ローマ人の物語11 ユリウス・カエサル ルビコン以後(上)

人は、全幅の信頼を寄せてではないにしろ、他人にまかせなければならないときがある。そのような場合の心がまえは、まずはやらせてみる、しかない。
(66ページ)

何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々も、そうあって当然と思っている。
(103ページ)

陣頭で指揮する司令官とその彼に率いられて闘う精鋭との関係は、苦楽をともにする期間が長くなればなるほど、信頼度が増すと同時に親密度も増すのは人の常である。それが、何かのきっかけで、親密度の限界を超えて「甘え」に変わるのだ。甘えとは、それがほんの少し進んだだけで、日本語で言う「図に乗る」に変わる。
(109ページ)

このような状態(まことに不利な情勢)になった場合、人は二種に分れる。第一は、失敗に帰した事態の改善に努めることで不利を挽回しようとする人であり、第二は、それはそのままでひとまずは置いておき、別のことを成功させることによって、情勢の一挙挽回を図る人である。カエサルは、後者の代表格といってもよかった。
(123ページ)

・・・カエサルだけに、経済の混乱が人心の乱れに直結していることも知っていた。なぜなら、経済の安定と繁栄こそが、政治には関心のない一般庶民をも味方につける最良の策であったからである。
(126ページ)

幸運とは、神が恵んでくれるものでもなく自分でつくりだすものでもなく、敵が恵んでくれるものである
(165ページ)

人間は、気落ちしているときにお前の責任ではないと言われると、ついほっとして、そうなんだ、おれの責任ではなかったのだ、と思ってしまうものである。こう思ってしまうと、再起に必要なエネルギーを自己生産するのが困難になる。
(194ページ)

政治を志した者ならば、中間派はもちろんのこと反対派さえも巻きこまないかぎり、真の政治は行えないことを知っている。
(204ページ)

死んだ後は生きていた当時の批判は忘れ去られ、良いところだけが思い出される
(274ページ)