ローマ人の物語13 ユリウス・カエサル ルビコン以後(下)

「人間ならば誰にでも、すべてが見えるわけではない。多くの人は、自分が見たいと欲する現実しか見ていない」
(38ページ)

高級将校の四人には裏切られたカエサルも、中堅から下の兵士たちの忠誠心ならば絶対であったのだ。・・・彼等は、カエサルを信頼し、カエサルのやることには盲従したのである。しかし、信頼とは、もしかしたら盲従でしかないのかもしれない。男への女の愛が、セイヴィーリアがカエサルに捧げたような、あるがままを愛することでしかないのに似て。
(44ページ)

ユリウス・カエサルの名を継ぐことは、一億セステルティウスの金の遺贈よりも効力があったのだ。それをわかって遺したカエサルも見事だが、十八歳でしかなかったのにカエサルの真意を理解したオクタヴィアヌスも見事である。世界史上屈指の、後継者人事の傑作とさえ思う。
(109ページ)

キケロは、なぜカエサルに反対しつづけたのか。
私の考えでは、その原因は、「祖国」の概念が、キケロカエサルではちがっていたからではないかと思う。
(125〜126ページ)

優れた男は女の意のままにならず、意のままになるのはその次に位置する男でしかない
(153ページ)

カエサルは、・・・オクタヴィアヌスにアグリッパを配することで、・・・自分にある種の才能が欠けていてもそれ自体では不利ではなく、欠けている才能を代行できる者との協力体制さえ確立すればよいということを、教えたのであった。・・・オクタヴィアヌスの方は、アグリッパを付けられたことで会得したのだ。教えが効果を発揮するのは、教え手のみではなく教わる側の資質も重要になる。
(159〜160ページ)

他者の文化を、自分のものにはしなくても尊重することこそ、知性である
(187ページ)

古代のローマ人と現代の日本人は、奇妙なところで似ている。温泉好きであり、室内の内装は簡素を好み、そして、火葬が一般的である点も似ているし、遺骨が故国に葬られるのを強く望む点でも似ている。
(195ページ)

オクタヴィアヌスは、最上のプロパガンダとは執拗なくり返しであることも知っていた
(199〜200ページ)

一級の司令官ならば必ず退路を考えて戦場に出る。だが、そのようなことはおくびにも見せない。この一戦にすべてを賭けていると思わせなければ、兵士たちを、死につながるかもしれない戦闘に追いやることなどはできないからである。
(212ページ)