ローマ人の物語15 パクス・ロマーナ(中)

紀元前一世紀末のローマでは、少子傾向が顕著になったのだ。前二世紀までのローマの指導者階級では、グラックス兄弟の母コルネリアのように、十人もの子を産み育てるのは珍しくなかった。それが、カエサルの時代には二、三人が普通になる。アウグストゥスの時代になると、結婚さえしない人々が増えた。
・・・子を産み育てることの他に、快適な人生の過ごし方が増えたのである。
(16〜17ページ)

弁護は無報酬と決まっていたローマでキケロが金持になれたのは、弁護をしてやった人々の遺産相続人に名を連ねていたからである。
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このような問題(少子対策)は、税からの控除とか家族手当の増額程度では解決不可能なのだと、妙に感心したものである。それに、税制上でも出世のうえでも不利だからという理由で産んだとしても、子どもというものは、生れてみれば可愛いのだ。結婚も、しなくては不利となれば、選りどり見どりという、人間性に対する不遜な態度も改める気になるかもしれない。キリスト教は、神に誓ったからという理由で離婚を禁じているが、これも進歩主義者の言うほど悪法とは思えない。神に反するとなれば、離婚を決行する前に十倍は熟考するのではないか。考えれば、我慢してもよいところなど見つからないでもないのだから。
(31ページ)

統治とは、統治される側の人々までが納得する何かを与えないかぎり、軍事力で押さえつけようが反対者を抹殺しようが、永続させることは不可能事だからである。
(70ページ)

カエサルはよく部下の兵士たちに、諸君はローマ市民である、と言って諭している。自分の任務に誇りをもち、それを世間も認めるからこそ、身体を張っての任務の遂行も可能になるのだと思う。
(75ページ)

他の職業に勤務年限制度などなかった時代にそれを定めたアウグストゥスは、しかもそれを二十年と定めた彼は、実に深い洞察力の持主であったと思う。・・・もしも勤務年限が二十年で終らずもっと延長されるとしたら、その人の一生は兵役だけで終ってしまう。・・・結果は、ミリタリー・クラスの固定化である。ローマは・・・軍事国家であった。それでいてこれによる弊害を長期にわたって避けることができたのは、ミリタリー人生とシビリアン人生の境が常に不明確であり、容易に両者を体験することができ、社会もそれを利点として認めていたからである。
(82ページ)

無理強いは、永続にとっては最大の敵なのである。
(88ページ)

マキアヴェッリは次のように書いている。
「いかなる事業も、それに参加する全員が、内容はそれぞれちがったとしても、いずれも自分にとって利益になると納得しないかぎり成功できないし、その成功を永続させることもできない。」
(89ページ)

理に服す人間は常に少ない。
(126ページ)

伝えたい、わかってもらいたいという強烈な想いが、文章力を向上させるのである。
(151ページ)

アウグストゥスは、)人間とは、責任感と自負心をもったときに最もよく働く、使う側から言えば駆使できる、生き物であることを知っていた。
(185ページ)

素材の質さえ良しとなれば、後は機会さえ与えてやれば育つ。
(204ページ)