ローマ人の物語16 パクス・ロマーナ(下)

統治も、街道に似ている。不断のメンテナンスが不可欠と考える認識力と、認識するやただちに修正するのをいとわない柔軟な行動力と、それを可能にする経済力のうちの一つが書けても、機能しなくなる
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政治とは、小林秀雄によれば、「ある職業でもなくある技術でもなく、高度な緊張を要する生活」であるという。消化器系が弱く生れなくても、弱くなるほどのプレッシャーの連続なのだ。この状態を生き抜くのに必要な資質は、第一に、自らの能力の限界を知ることもふくめて、見たいと欲しない現実までも見すえる冷徹な認識力であり、第二には、一日一日の労苦のつみ重ねこそ成功の最大要因と信じて、その労をいとわない持続力であり、第三は、適度の楽観性であり、第四は、いかなることでも極端にとらえないバランス感覚であると思う。
(33〜34ページ)

実戦指揮の経験者であれば、軍勢が五万を超えると指令が行きとどかなくなることを知っている。つまり、総司令官の手足を務めるに足る完璧な指揮官クラスの組織なしには、五万以上の軍に指令を徹底することは不可能になるのだ。
(67ページ)

持続する意志自体は、誉められてしかるべき性向である。だがそれが、血の継続にここまで執着する様を見せられると、もはや「執着」よりも「執念」であり、さらに執念を超えて「妄執」にさえ映る。妄執は、悲劇しか生まないのだ。古代の人々の考えでは、あくまでも運命を自分の思いどおりにしようとする態度は謙虚を忘れさせ、それゆえに神々から復讐されるからであった。
(76ページ)

人間とは、不可思議な生きものである。負ければ責任のなすり合いで分裂し、勝てば勝ったで、今度は嫉妬で分裂する。それゆえに、勝つか負けるかよりも、分裂することで持てる力の無用な消耗をしたか、それともしなかったかのほうが、最終的な勝敗を決するのではないだろうか。
(108ページ)

皇帝の遺言というよりも会計士の報告を聴くようで、このような人を夫にもった妻は、詳細きわまる家計簿を求められたであろうと想像したら、微苦笑をとめることができなかった。だが、大帝国の運営とて、どんぶり勘定でやっていては永続は望めないのである。帝国の創立まではどんぶり勘定でやれないこともないが、その維持はやれないのだ。そして、律儀で細かいことにまで気を配る人であったローマ帝国初代の皇帝は、法とは、誰よりも上に立つ者が守ってこそ、下にある者にも強いることができるのを知っていた。
(119ページ)

帝政時代に入ってこの(国政を決める)自由を失ったのは、(元老院の)六百人なのだ。
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効率良き国家の運営と平和の確立という時代の要求の前に、六百人の国政決定の自由は、死守すべきほどの価値であろうか。われわれ人間は、常に選択を迫られる。なぜなら、絶対の善も悪も存在せず、人間のやれるのは、その中間でバランスをとりつづけることでしかないのだから。
(121ページ)