ローマ人の物語21 危機と克服(上)

もはや坂をころげ落ちるばかりのローマ帝国を書いていて思うのは、中間と下部がダメになったら、いかに上部ががんばろうと何をやろうとダメ、ということである。反対に、中と下の層が充分に機能していれば、少しばかりの間ならば上層部の抗争で生れた弊害も吸収可能、ということでもある。
(カバーの銀貨について)

人間には、自らが生きた時代の危機を、他のどの時代の危機よりも厳しいと感じてしまう性向がある。そのうえ、ローマの歴史とて、すべてが良い調子で進行したから興隆し、その後はすべてが悪く進んだから衰退したのではない。ローマ人とは、紀元前七五三年の建国以来、幾度となく襲ってきた危機を克服していくうちに興隆を果した民族なのである。
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人類は現代に至るまであらゆる形の政体、王政、貴族政、民主政から果ては共産主義政体まで考えだし実行もしてきたがk統治する者と統治される者の二分離の解消にはついに成功しなかった。解消を夢見た人は多かったが、それはユートピアであって、現実の人間社会の運営には適していなかったからである。
となれば、政体が何であるかには関係なく、統治者と被統治者の二分離は存続するということである。存続せざるをえないのが現実である以上、被統治者は統治者に、次の三条件を求めたのだ。
統治するうえでの、正統性と権威と力量である。
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平凡な資質の持主は、本能的に、自分よりも優れた資質の持主を避ける。自分にない才能や資質を迎え入れることで、自分自身の立場を強化するなどという志向は、平凡な出来の人には無縁なのだ。とはいえこれをできたら、もはや平凡ではなくなるのだが。
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トップというのは、勝負がかかっている場には絶対に自ら出向く必要がある。外敵との闘いの場合は最高司令官の臨戦の有無が戦闘員の士気に影響してくるから、その理由は説明するまでもない。しかし、内戦、つまり同胞間の闘いとなると、トップ自らの臨戦の重要性はより決定的となる・・・
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浅薄な考えは、後になって実害をもたらすから困るのだ。
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人間が人間を裏切るのは、恐怖よりも軽蔑によってであるのだから。
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意欲はあってもそれを実行できる立場になかったり、それを実行するに必要な力をもっていなかった人の場合は、非難することはできない。しかし、やろうと思えばできた人がやらないのは、ただ単に精神の怠惰にすぎない。
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予定どおりに進行する事態への対処ならば、特に優れた能力は必要としない。真の才能が問われるのは、予期しなかった事態への対処である。
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平時でも活躍できるタイプの人材でなければ、真の意味で戦時にも有益でありえない。なぜなら、リーダーの第一条件が、彼に従う人々に対しての統率力にあるからだ。
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