ローマ人の物語22 危機と克服(中)

合理的思考と文明度は、比例の関係にあるのかもしれない。
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目的のためには手段は選ばず、とは、マキアヴェッリでも言っていない。マキアヴェッリは、目的のためには有効ならば手段を選ぶ必要はない、と説いたのである。
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敬意とはしばしば、武力よりも有効な抑止力になりうるのである。
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ローマの皇帝に軍務の経験者が多いのも、何もあの国では軍人が強かったわけではなく、種々雑多な人間の集団を率いて戦果をあげることができるような人物ならば、軍事もまた政治をするのと同じこと、であったからである。
(108ページ)

玉砕は、後世を感動させることはできても、所詮は自己満足にすぎない。
(124ページ)

ローマの武将たちの多くに共通する特色は、武人らしい見栄、ないしは虚栄心に無縁であった点である。彼らは、少数の敵を多数で攻めることに何のためらいもなかった。多数で攻めるのは、解決を早めるとともに敵味方双方の犠牲を少なくするためでもあったからである。
(153ページ)

人間心理から見ても、充分な機能を期待するならば、充分な権限を与えるのが最良の方策だからである。
(179ページ)

社会の構成員ならば全員平等、とするとかえって、外部の人々を疎外するようになるのである。新たに入ってきた人に対し、すぐにも既存の人同様の権利を認めるわけにはいかないからである。認めようものなら、既存の人々からの反撥が起こる。現代でも問題になっている人種差別感情が意外にも社会の低層に強い現象を思い起こすだけで、この問題の深刻さは理解できよう。それが古代のローマのように、社会の階級別を認め、ただし階級間の流動性を認めるならば、外部の人々の流入を拒絶する理由はなくなる。まずは下層に入ってもらい、その後の上昇はその人しだい、というわけだ。一方、はじめから実力を示せる人に対しては、その実力にふさわしい階級への参入をただちに認める。
(191〜192ページ)

上に立つ者は下位にある者よりも自由はより限られるのだという一句を、彼(ティトゥス)もまた身にしみて感じたであろうか。皇帝も、いかに「皇帝法」で守られていようと、何でもやれると思ったときから墓穴を掘ることになるのだった。
(198ページ)