ローマ人の物語23 危機と克服(下)

報復とはしばしば、理性ではなく感情の所産であることを忘れるわけにはいかないのである。
(61ページ)

自治は認められても財源を伴わないのでは、自治の権利とて行使しようがない。
(104ページ)

機能的で公正な税制は善政の根幹であり、これを、安全保障や社会資本の充実と並んで「中央」の仕事と考えたローマ人は、政治とは何かを熟知している、アリストテレスの言ならば「政治的人間(ホモ・ポリティクス)」であったのだろう。
(113ページ)

通商よりも海賊業で、農耕や手工業よりも略奪で生活の糧を得ようと考える者がいるかぎり、防衛の必要が消えることはない。そして防衛の結果が、話し合いよりも腕力で決する場合が圧倒的に多いのは、双方の持つ「考え方(コンセプト)」、ないし価値観、のちがいによるのである。
・・・学校で教えるローマ史では、紀元五世紀に帝国が滅亡したのはあの時期に起こった蛮族の侵入が原因であったような印象を与える。だがこれは、完全な誤解である。共和制・帝政を通じてのローマ全史は、蛮族の侵入の歴史と完全に重なり合うと言ってよい。首都ローマにまで侵入された紀元前三九〇年から、ローマが再び蛮族に蹂躙される紀元後四一〇年までの八百年をローマが持ちこたえることができたのは、一にも二にも、防衛力が健在であったからだった。
(125〜126ページ)

人間とはなぜか貴種には甘く、高貴な生れでも育ちでもない人物が強権を振るおうものなら、ヒステリックなほどに反撥する傾向が強い。
(171ページ)

ユリウス・カエサルは、ドミティアヌスよりも若かった年頃にすでに言っている。「上に立てば立つほど、言行の自由は制限されざるをえない」と。
(173ページ)

人間とは面白い生き物で、憎悪していた人物の排除に成功しさえすれば、その人物が成した政策が継続されようと、もはやそれには無関心になるのである。
(190ページ)

ローマの歴史がリレー競走に似ているのは、現に権力をもっている者が、自分に代わりうる者を積極的に登用し育成したところにある。
・・・人間にとっての最上の幸運とは、自分のためにやったことが自分が属す共同体のためになること、つまり、私益と公益が合致することにある。
(195ページ)