ローマ人の物語28 すべての道はローマに通ず(下)

インフラとは、需要があるからやるものではなく、需要を喚起するためにやることであるのかもしれない。
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同胞に選択肢を複数もつことの有利を教えたということでも、「アッピア街道」と「アッピア水道」の建設は、ローマの歴史を画する大事業になる。民衆は抽象的なことに対しては判断を誤っても、具体的な形で示されれば正しい判断を下す能力をもつ、と言ったのはマキアヴェッリだが、アッピウスは街道と水道を通すことで、それをしたのだった。
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良きリーダーは、マキアヴェッリによれば二種に分れる。一方は、自分に何でもやれる能力があるところから、何でも自分一人でやってしまう人。他方は、自分には何でもやれる能力がないことを知っていて、それゆえに自分にできないことは他者にまかせる人。
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インフラは、それを維持するという強固な意志と力をもつ国家が機能していないかぎり、いかに良いものをつくっても滅びるしかない。
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ギリシアとローマに代表される古代の盛期とキリスト教が台頭する古代の末期を、「貧」をどう考えたかの一点で比較するには、次の二人の言葉を読み比べるだけで充分と思う。
「貧しいことは恥ではない。だが、貧しさに安住することは恥である」―ペリクレス
「貧しき人は幸いなれ」―イエス・キリスト
キリスト教の「慈愛」は、近現代になると「人権」にとって代わり、医療もまた「公」中心の担当分野と考えられて現在に至っている。そして教育のほうも、「私」中心主義から「公」中心主義に移行したという点で、医療と似ていたのであった。
(139〜140ページ)

ある一つの考え方で社会は統一さるべきと考える人々が権力を手中にするや考え実行するのは、教育と福祉を自分たちの考えに沿って組織し直すことである。ローマ帝国の国家宗教になって後のキリスト教会がしたことも、これであった。そしてその半世紀後、ローマ帝国は滅亡した。残ったのは、キリスト教帝国とした方が適切なビザンチン帝国である。ローマ帝国の東方にあったアテネの「アカデミア」もアレクサンドリアの「ムセイオン」も、まもなくして廃校になる。疑いをいだくことが研究の基本だが、世の中は、信ずる者は幸いなれ、の一色になったからであった。
(160ページ)

統治者の責務は、被統治者に安全と食を保障することであると考えられていた。「食」は、「職」の保障である。そして、「食」であろうと「職」としようと、その保障は、「安全」が保障されてはじめて実現する。それゆえに、人間の生活にとって最も重要なことは、古今東西一つの例外もなく、安全保障なのであった。現代でも、戦乱の続く地帯に住む人々の苦しみを見れば、このことを納得してもらえるだろう。
(202〜203ページ)

現代でも、先進国ならば道路も鉄道も完備しているので、われわれはインフラの重要さを忘れて暮らしていける。だが、他の国々ではそこまでは期待できないので、かえってインフラの重要さを思い知らされる。水も、世界中ではいまだに多くの人々が、充分に与えられていないのが現状だ。
経済的に余裕がないからか。
インフラ整備を不可欠と思う、考え方が欠けているからだろうか。
それとも、それを実行するための、強い政治意思が欠けているからか。
それともそれとも、「平和」の存続がほしょうされないからであろうか。
(205ページ)