ローマ人の物語30 終わりの始まり(中)

立派な人物ならば仕事面でも立派な業績をあげると思いたいところだが、現実はそう甘くない。だからこそ歴史を読むと、愉しいと同時に哀しくもなるのだと思う。
(カバーの銀貨について)

トライアヌスの円柱とマルクス・アウレリウスの円柱を比較して)パトス(情念)の過剰は、政治や軍事においてのみでなく、芸術においても欠点になりうる
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危機に直面したときに講ずる打開策は、その重要度に応じて優先順位を決め、その順に実施していくのが最も安全で確実なやり方である。だが、優先順位を決められない場合も多い。このようなときには、いくつかの策を同時進行で進めざるをえなくなる。その場合に重要なのは、実施の速度と、実施する際に迷わないこと、の二事であった。
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ブリリアントな人間に耐えられないのは、平凡な出来の人間に上に立たれることなのだ。
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いかに善政を布いても、反対する者は必ずいる。誰もがいちように満足する統治は統治ではないからで、必ずいつか、公憤によったにしろ私憤に駆られたにしろ、最高権力者に対して不満を持つ者は必ず出てくる。その場合にもしも、適当な人物がいれば、反対派はその人をかつぐ。内乱はこうして起るのだ。
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「ミリタリー」は戦争のプロなので、始めた以上は最後まで行く戦いでないと、もともとからしてはじめないのだ。意外にも「シビリアン」のほうが、戦争のプロでないだけに、世論に押されて戦争をはじめてしまったり、世論の批判に抗しきれずに中途半端で終戦にしてしまう、というようなことをやりがちなのである。つまり、後を引くという戦争の持つ最大の悪への理解が、シビリアンの多くには充分でないのだ。
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話し合いによって平和が成立するのは理想だが、人間世界の現実は、どちらか一方が優勢に立ったときのほうが、話し合いも妥結しやすいのである。
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職業には貴賎はないが、生き方には貴賎はある。
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権力者が権力を行使するのを行使される側が納得するには、実力だけでは不充分で、正統性が求められてくる。
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