ローマ人の物語36 最後の努力(中)

一国家の誕生から死までをあつかう通史を書いていて痛感することの第一は、人間にとっての幸不幸は、自分に合った時代に生れたか否か、にかかているということだ。資質も才能も努力する意志も、この一事を前にしては価値が薄れる。だから私も、成功の条件とか失敗の教訓などと銘打った書物を書く気になれないのである。
成功も失敗も、そうそう簡単には定義できないという気がして。
(カバーの銅貨について)

長く派遣国家であった国の住民には、もはや覇権を行使する権力はなく、それに伴う特権のすべてを失った後でも、最後まで残るのが「誇り」である。これだけは他社が奪おうとしても奪えないものであるからだ。
(33ページ)

地位を失えば、権力も失うのである。
(45ページ)

ローマ人の考える「寛容」(clementia)とは、強者であっても自分たちの生き方を押しつけず、弱者であろうとその人々なりの行き方を認めることであったのだ。
(128ページ)

「ミラノ勅令」は、一読するだけでも明らかなように、これを発布した二人の皇帝の一人であるコンスタンティヌスの、キリスト教への改宗の表明ではまったくない。また、この勅令によってキリスト教が、他の宗教に比べて優遇されるようになったわけでもなかった。ローマ帝国に住む人のすべてに完全な信教の自由を認め、そのことを公にした勅令であったのだ。
しかし、それでもなお「ミラノ勅令」が、歴史を画する重大な史実とされる理由は充分にある。それは、ローマ人が一千年以上にもわたって持ち続けてきた宗教に対する伝統的な概念を、紀元三一三年のこの勅令は断ち切ったからである。
(133ページ)

「ミラノ勅令」を現代に至るまでの歴史の流れの中で捕らえれば、信教の自由とは人権の尊重の柱のひとつでもあるところから、十八世紀のヨーロッパに広まった、啓蒙主義の先取りとさえも読むことは可能だ。「ミラノ勅令」の前半はとくに、ヴォルテールディドロの言を耳にしているかのような想いになる。
(134ページ)

数では劣勢の軍を率いて勝つには、いち早く戦闘の主導権を手中にしてしまうことが重要だ。
(138ページ)