ローマ人の物語37 最後の努力(下)

コンスタンティヌス以降はもはやローマ帝国ではない、としてペンを置いてしまう史家もいたほどである。
しかし私は、死ぬとわかった時点で早くも病室を出るよりも、どのように死んでいくかを見守りながら最後まで看取るほうなのだ。
・・・だが、愛した人の死に最後まで交き合うのはやはり哀しい。
(カバーの金貨について)

権力を取り上げれば役割も、そして役割があるからこそ生れる自負心も、自然に消滅していく。
(36ページ)

防衛をどう考えるかは、住民共同体としての国家をどう考えるかと、結局は同じことになる。なぜなら防衛とは、個人の努力では限界があるのを国家が代わって責任をもつ事柄の第一であるからだ。
(41ページ)

歴史は、対象となる問題が重大であればあるほど、年代順に史実を追っていく方法のほうが適切である場合が多いのである。
(66ページ)

宗教を大義名分に使えなければ争いは人間同士のことになり、単なる利害の衝突にすぎなくなる。ゆえに、争うことが損とわかるや自然に収まる。宗教を旗印にすると、問題は常に複雑化するのだった。
(81ページ)

分裂は、一度それを許そうものなら次々と分裂を産み、果ては自滅に向ってころがり落ちるしかない
(100ページ)

「ローマ人は三度、世界を支配した。初めは軍団によって。次いでは法律によって。そして最後はキリスト教によって。」
(108ページ)

キリスト教では、神意は聖職者を通して伝えられるということになっていた。それも、権威ある神意伝達のコースとなると、・・・司教ということになる。つまり、世俗君主に統治の権利を与えるか否かの「神意」を人間に伝えるのは、キリスト教会の制度上では、司教ということになるのだ。ならば、司教たちを”味方”にしさえすれば、「神意」も”味方”にできるということになる。
(122〜123ページ)

コンスタンティヌスは市況に、これらの優遇策(人とカネの確保)に加えてさらに、司教区内での司法権まで認めたのである。もはやローマ帝国は、法治国家ではなくなった。
(125ページ)

皇帝権力のチェック機関を任じてきた元老院も、その最重要の存在理由を失った。チェック機能を持つか持たないかは、権力者に権力を与える資格を有するからこそ持てるのである。
(129ページ)