坂の上の雲

akiweb2005-12-01


司馬遼太郎の「坂の上の雲」(文春文庫、全八巻)を読了した。
歴史の授業は江戸時代か明治の最初くらいで終わっていたし、高校受験や大学受験をしなかったので、近代を知らないというコンプレックスもかすかに持っていた。

明治維新から第二次世界大戦にかけて日本人は何を考え、行動したのかを知らないことは、何となく自分の中に穴が開いているような気もしていた。
その穴を埋めてくれたのが最近になって読んだ「竜馬がゆく」「最後の将軍」「坂の上の雲」だった。

初めて知ったことは沢山あった。「あとがき」よりいくつか拝借すると、

・日本の首脳部は彼我の国力に差があるため日露戦争を極力避けようとしたこと。

・正確な情報を持たぬ国民や学者(!)やマスコミ(!!)が「ロシアはけしからん」として戦争するように煽ったこと。(一部のマスコミには現在でも事実を冷静に分析せず、感情で物事を判断する傾向があると思う。それを欲する国民が多いということか。)

・日本政府、軍部の首脳が、「ロシアという大男の初動動作の鈍重さを利用して、立ちあがりとともに二つ三つなぐりつけて勝利のかたちだけを見せ、大男が本格的な反応を示しはじめる前にアメリカというレフェリーにたのみ、あいだへ割って入ってもらって止戦にもちこむ」という正確な状況判断に基づく戦略を戦前から持っていたこと。

・ロシアは皇帝の専制だったため側近は皇帝に気に入られることのみを考える者ばかりであり、また将たる者も自分の保身を考えることが多く作戦の指揮がまずかったこと。

・これに対し日本は一兵卒に至るまで「この戦争に敗れれば日本は滅びる」という意識を持ち、総じて現実主義、能力主義を取り、それぞれの持ち場でベストを尽くしたこと。

・ロシアでは革命気分が高まってきており、日本政府は革命勢力を支援するというようなことまで行っていたこと。

・後に軍神とまで言われた乃木大将は(その参謀が無能であったことが主因で)非常に多くの日本兵の命を無為に奪った、どう間違えても名将とは言えない人物であり、最終的に旅順を攻略したのも乃木希典ではなく児玉源太郎だったこと。

・日露戦後に官修の「日露戦史」を発行したが、ここで作戦の価値判断が全くなされず、すべて都合の悪いことは隠蔽されるという最大の愚行が行われたこと。これは戦勝国特有の総花式の論功行賞をやったためで、論功を与えられた者を批判する訳にはいかなかったためであること。これによって国民は何事も知らされず、むしろ日本が神秘的な強国であるということを教えられるのみであり、小学校教育によってそのように信じさせられた世代が、やがては昭和陸軍の幹部になり、昭和日本の運命をとほうもない方角へひきずっていったこと。

などなどなど。。。


30歳を過ぎるまで、何となく「司馬遼太郎」を避けていた。人気のありすぎる物はあまり見たくないという天邪鬼だったか。今となればもっと早くに読んでおくべきだったかと。。。
幸いにしてまだまだ読む物がある、と思うことにしよう。