このくにの姿

このくにの姿 対論・筑紫哲也

ブログでも何度か取り上げた伊東乾氏
伊東氏の11月11日付のコラムで、このコラムは筑紫哲也氏がいなければなかったこと、筑紫氏の最後の本となった「このくにの姿」のPR対談の相手に伊東氏が指名されたことなどを読み、早速手に取った。(読了は昨年11月)


筑紫氏と、中曽根康弘氏、渡邉恒雄氏、カルロス・ゴーン氏達との対談集。
中曽根康弘氏や渡邉恒雄氏との対談の稿を読み、憲法改正以外の点では非常に意見が近いことに驚いた。
筑紫氏自身があとがきで語っているように、「向岸」と見えた人と距離が近いと感じた。

あとがきを引用させていただく。
「向岸」と見えた人がこちら側に居るという時代とは、別のもっと巨大な「向岸」が在るということだろう。
・・・この両岸を分かつのは論ずること、つまり「問答」を「有用」と思うか、「無用」と思うかのちがいではないか。
「短い言葉」から「無用」に傾斜して行く「このくにの姿」を逆照射する素材に、ここに収められた「問答」がなってくれたら、と祈る。


筑紫氏の遺言に思えるこの言葉。
愛情の反対は無関心とも言う。無関心、知ろうとしないこと、よく考えずに切り捨ててしまうこと、などが国を誤った方向へ動かすという危惧を抱いていたのではないだろうか。
私たちの暮らしに大きな影響を及ぼす政治にも、教育にも、世界の出来事にも、関心を持ち「問答」をしていきたいと思う。