ローマ人の物語19 悪名高き皇帝たち(三)

ピアノのコンクールでは、審査員は有名なピアニストが担当する。いかに音楽を愛していても、単なる愛好家には、票を投ずることは許されていない。それなのに政治となると、選挙では誰でもが一票を投ずる資格をもつとされている。でないと、反民主的と非難される。ということは、民を主権者とする政体とは、政治のシロウトが政治のプロに評価を下すシステム、と言えないであろうか。
(カバーの金貨について)

帝政時代が進むにつれて、帝国の運営も複雑化せざるをえない。複雑化する中で統治能力を維持しようと思えば、機能別の組織化しかなかった。
(77ページ)

書物から得た知識も、現実とのつき合わせを経て、はじめて認識になりうる。認識とは、哲学的に言えば、理知によって事物の窮極をきわめることだが、普通に言えば、何が重要か、を理解することである。
(84ページ)

これら前任者たち(カエサルアウグストゥスティベリウス)には、手足として働いてくれる部下に、彼らに対しての無言のブレーキでもある畏敬の念を起させる才能があった。畏敬とは、辞書によれば、恐れ敬うこと、である。敬われるだけでなく、恐れさせる必要もあるのだ。クラウディウスの性格には、部下たちに畏敬の念を起させるところがなかった。言い換えれば、軽く見られがちであったということである。
(87ページ)

ガリア人の元老院入りについて)イギリスやその他の帝国主義国家の閉鎖性を批判する前に、われらが日本はどうであったかを思い起こす必要がある。朝鮮や台湾の人々に、帝国議会議席を与えたであろうか。日本国政府への参加を認めたであろうか。
(138〜139ページ)

専制君主国は、政情が安定しない。王位をめぐっての内紛は専制君主国の常で、そのたびに東宝全域は動揺するのである。王室の間は結婚によってもつながってもいたから、内紛は一国にとどまらず、他国の干渉を招くのも常のことだった。
(172ページ)

敬意を払われることなく育った人には、敬意を払われることによって得られる実用面でのプラス・アルファ、つまり波及効果の重要性が理解できないのである。
(190ページ)