海の都の物語(4)

「良識とは、受け身に立たされた側の云々することなのだ。行動の主導権をにぎった側は、常に非良識的に行動するものである」
―当時のヴェネツィア外交官の報告書から―
(21ページ)

現実主義者が誤りを犯すのは、自分たちが合理主義者でリアリストなものだから、非合理的に行動する相手を理解できないからなのだ。まさかそんなバカなまねはすまい、と思ってしまうのである。
(41ページ)

世にいう好戦派とは、闘いが好きな人ではなく、少しばかり他に比べて気の強いだけの人なのだから。
(56ページ)

海の都の物語(3)

現実主義者同士の間でならば、妥協は常に成立する。
(55ページ)

ヴェネツィア人は、ライヴァルのジェノヴァ人と比べて、船乗りとしても商人としても、また海軍軍人としても少しばかり差をつけられていたけれど、組織づくりにかけては、断じて優れていたのであった。
(78ページ)

能力には、それにふさわしい報酬が与えられてこそ、彼らも、その才能をより以上に発揮する気持ちになるというものである。
(88ページ)

戦争は悲惨なものである。しかし、その戦争にも、一つだけ効能がある。複雑化していた人々の欲望を単純化するという効能である。
(126ページ)

キオッジアの戦いを頂点とする第四次ジェノヴァヴェネツィア戦役でヴェネツィアが得たものは、ただ単に、国民全体の意見の一致、という一事でしかない。しかし、これは、ヴェネツィアが再び立ち直るに際し、最も役に立つ”戦果”となった。
(127ページ)

すべての国家は、必ず一度は盛期を迎える。しかし、盛期を何度も持つ国家は珍しい。なぜなら、一度の盛期は自動的に起るが、それを何度もくり返すのは、意識的な努力の結果だからである。
・・・長期にわたったヴェネツィアジェノヴァの対立の末のヴェネツィアの勝利は、海軍の力とか海戦の技術とかによるのではない。ヴェネツィアは、一二七〇年以後、この面での優位をもはや持ち合わせていなかった。
勝利を決した因は、別の方面での両国家の能力の差にある。つまり、社会を組織する能力である。この能力では、ヴェネツィア人とジェノヴァ人の間には、非常な差が存在した。
(134ページ)

海の都の物語(2)

指揮決定は、一人の独断を許さないようにしながらその道のプロたちにまかせ、他の人々もそれぞれの立場を守って全力をつくす。このやり方が共同体の利益を引き上げるのに役立つばかりでなく、結局は各個人の利益として返ってくる。ヴェネツィア共和国の政治、経済、外交を通じて展開されるこのヴェネツィア精神は、もしかしたら、商船の航海の行程でつちかわれたものかもしれない。
(30ページ)

1300年前後を境として、まず、航海技術の革命が起る。次いで、船の構造が変化してくる。商業のほうでも、商業技術の画期的な改良が行われるのはこの時期だ。そして、これらを基盤として、商人のタイプも変わってくるのである。
(70ページ)

航海技術の変化だが、それは、羅針盤と航海図と、それから「ターボラ・ディ・マルテロージオ」と呼ばれる、言うなれば航路の早見表だが、この三つが航海に必要な三器として活躍しはじめることによって起ったのであった。
羅針盤は、九世紀以前にすでに、支那で考えだされたものであるらしい。それが、アラビア人によって地中海にもたらされ、一三〇二年にイタリアの海洋国家の一つ、アマルフィの商人によって改良され、その有効性から、地中海地方の船乗りの間に急速に普及したと言われている。
(70ページ)

航海図だが、後世のわれわれが見ることのできる一番古いものは、一二七〇年に作られた、通称「カルタ・ピサーナ」と呼ばれる、これもイタリアの海洋国家の一つであったピサの商人によって作られたものである。
・・・現代のわれわれから見ても、実に正確にできている。とくに、彼らの活躍の主たる舞台であった地中海域の正確さは、今日でもそれを使って航海できそうなくらいだ。北ヨーロッパは、それほどには正確ではない。
(71ページ)

「ターボラ・ディ・マルテロージオ」とは、東西南北を、全体で三十二に区分した図表である。
ただしこれは、羅針盤や航海図とちがって、使い始めたらもうそれなしでは航海できない、というたぐいのものではない。吹いてくる風の方向によって、船を目的地へ向わせるには、羅針盤と航海図を参照し、三角法を使って計算すれば、航路とそこまでの距離はでてくるのである。しかしこれは、航海術に長けた人にしてはじめて早く答えをだすことができる方法である。
・・・これらの技術革新は、航海可能な時期を、大幅に拡大することになる。雨が降ろうと霧が立ちこめようと、また曇天であろうと、航行できるようになったのである。それまでの肉眼で確かめての航海では不可能であった冬期の航海も、この技術革新で可能になった。
(71〜72ページ)

一三〇〇年前後に、北欧の丸型の船が、地中海にも知られるようになった。吃水線の高い、四角帆の帆船である。この「コッカ」は、人件費の節約イコール輸送コストの軽減という点で、イタリアの海洋国家の注目を呼ぶことになった。
(74ページ)

十四世紀の特色である改革の第三は、商業技術の進歩であった。それはまず、簿記の普及によって始まる。
・・・それを複式に改良したのは、ヴェネツィア人であった。一見しただけで商いの全容がわかる複式簿記は、たちまち、ジェノヴァフィレンツェをはじめとする西欧の商人の間に広まる。彼らの間では、複式簿記は、「ヴェネツィアーナ」(ヴェネツィア式)という通称で呼ばれた。
簿記の記入に不可欠なアラビア数字がヨーロッパにもたらされたのは、一二〇〇年代はじめのピサ人の功績による。はじめのうちは、憎っくき異教徒の産物ということで、教会関係者をはじめとする人々から、少なからぬ抵抗を受けたらしい。しかし、ローマ数字と比べれば、便利なことでは比較にならない。書きちがい読みちがいも少なくなるうえに、0という観念もある。それで、現実的な商人の間では、教会の妨害にもかかわらず拡まっていった。
・・・アラビア数字で記された複式簿記によって、商人は、自分が直接に関与した商取引の全容を知ることができるだけでなく、海外の代理人を通じて行う間接の取引もふくめた、商い全般の進み具合を知ることも可能になった。
(80〜81ページ)

簿記の発明やアラビア数字の紹介と違って、完全にヴェネツィア人の功績に帰してよいのは、近代的な意味での銀行を創ったことである。
(81ページ)

銀行家は、帳簿にそれを記入する。これでカネは動いたわけだ。以前のように、金貨や銀貨の袋を持ち歩かなくても、商売ができるようになったのである。
(82〜83ページ)

そのうえ、ヴェネツィアの銀行に口座を持たない者と商取引が成立しても、ヴェネツィアの銀行と相手の銀行間の捜査で、つまり為替手形によって、遠方の地での支払いもまったく問題がないようになっていた。これは、金貨の袋をしこたま運んで行かねばならないことから起るリスクを避けられる利点に加えて、収益で別の商品を強いて買い求める必要もなくなったということでもある。
(83ページ)

中世の西欧キリスト教世界には、権力構造の定義として、上からと下からとの、二つの定義があった。
上からとは、神、法王、皇帝、君主と、権力構造が上から下へとさがってくる型である。これが、法王と皇帝の地位がどちらが上かという問題で、法王派と皇帝派の争いの源になったものである。もちろん、地位は任命によるのだから、君主制だ。
一方、下から、とは、住民共同体が法によって代表を選ぶ型で、権力構造は、当然下から上へ向う。民主主義政体というものであろう。両者とも、独自のイデオロギーの上に立っていることでは変りはない。
しかし、二つの型とも、中世キリスト教世界では、無視できない欠陥を持っていた。まず、上からの場合は、宗教の介入を許すことになる。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」であるはずなのに、キリストの後継者たちはそれを完全に忘れ、皇帝のものまで神のものであるとしたから、問題はやっかいになってしまった。
かといって、下からの場合も、欠陥がないわけではない。こちらは、人間の欲望の介入をコントロールするのが非常にむずかしくなるという欠陥を持っている。前に述べたように、市民集会を牛耳るのはごく簡単にできることなのだ。
(122ページ)

法王グレゴリオ十三世が、
「自分は、どこの国でも方法だが、ヴェネツィアではちがう」
と嘆いたが、ヴェネツィア人は、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に、というイエス・キリストの言葉を、それを守るほうが、神にとっても人間にとっても利が多いと考えて、守ったにすぎない。
(123ページ)

同時代のフィレンツェ人が、あの骨の髄から商人のヴェネツィア人が、誰のものとも知れぬ骨を信仰するのは理解に苦しむ、と言って嘲笑したヴェネツィア人の聖遺物信仰だが、・・・宗教の介入を防ぐ対策としては、なかなかに巧妙なやり方であったと思うしかない。
なぜなら、信者には信仰の対象が必要だ。それを信仰することによって、彼らは、心の平安を得るだけでなく、天国の席の予約もしたつもりになれるのである。この場合の信仰の対象が、聖者の骨ということになっている骨の一片や、キリストが架けられたという十字架の切れはしであったりすれば、これらはいかに信仰を捧げられても、その人々を扇動しようとはしないから実害はない。聖遺物購入に費用がかかっても、これならば安い対価である。
一方、合理的と自認していたフィレンツェ人には、聖遺物信仰はなかったが、それだけに生きた聖者に信仰を捧げ、彼らによって牛耳られることがたびたび起った。・・・どちらのやり方が、信仰の安らぎを与えつつ、それによる実害を少なくするのに役立ったかといえば、ヴェネツィア式に軍配をあげるしかない。
(123〜124ページ)

任期が短いというのにも問題があった。人気がかぎられている場合、人間はおうおうにして、思うことをその任期中にやりとげようと急ぎ、無理をするものである。無理は、あらゆる面で弊害をひき起す。また、かぎられた人気の場合、経験が豊かで適任と考えられる人々が選ばれるよりも、しばしば身内の者であるというだけで優先されることが多い。
(126〜127ページ)

世襲制というと、今日の人なら誰でも反撥するにちがいない。しかし、十四世紀に政治をまかせるに適した人材を養成する、どのような機関があったというのであろう。また、その人材を登用するのに、どれほど公正なフィルターが存在したというのであろう。あの時代では、その意味の教育は、父から子に受け継がれるものに頼るしかなかったのである。
共和国国会のメンバーを世襲制にすることは、政治のプロの階級をつくることであった。それによって、ヴェネツィアは、個人の野心と、それと結びつきやすい大衆の専横の二つともを、押えこむのに成功したのである。これが、上からの権力構造に組みこまれ、それがために法王や皇帝の介入を防ぎきれないという欠陥を持つ君主制に移行する危険から、ヴェネツィアを救ったのであった。ヴェネツィアは、この時期から、共和国にして貴族政を持つ国家になる。
(133ページ)

内政の混乱は、しばしば外政の失敗によって引き起されるものである。
(137ページ)

マキアヴェッリは、次のように言っている。
・・・共和国で行われている政治上の手続きは、実にゆっくりとしたものであるのが普通である。立法にしても行政にしても、どんなことでも一人で決めることはできず、たいていのことは、他の何人かと共同で決める仕組みになっている。それで、これらの人々の意思の統一をはかるのに、かなりの時間が必要になってくる。このようにゆっくりした方法は、一国の猶予も許されないという場合、非常に危険なものになる。だから、共和国は、このような場合のために、(古代ローマのような)臨時の独裁執政官のような制度を、必ずつくっておかねばならない。
(149ページ)

ヴェネツィア人は、政治のプロは、専門別化してはならないとかんがえていたのである。しかし、行政のプロは、その道の専門家でなくてはならないとも考えていた。
(162ページ)

海の都の物語(1)

理解と行動は、そうそう簡単には結び付かないものである。
(37ページ)

国家は、陸地型の国家と海洋型の国家に大別されると、誰もが言う。私には、この二つのタイプのちがいは、自給自足の概念のあるなしによって決めてもかまわないのではないかとさえ思われる。
(67ページ)

近くの味方は、しばしば近くの敵よりも始末が悪い。
(90ページ)

現実主義は、人間の理性に訴えるしかないものであるところから、理性によって判断をくだせる人は常に少数でしかないために、大衆を動員するにはあまり適した主義とは言えない。マキアヴェッリの言葉に、次の一句がある。
「ある事業が成功するかしないかは、その事業に人々を駆り立てるなにかが、あるかないかにかかっている」
つまり、感性に訴えることが重要なのである。
(100ページ)

中世の奴隷は、ヨーロッパからアフリカへ流れていたのである。
(105ページ)

北アフリカイスラム教徒に奴隷と木材を売り、金や銀で支払いを受けたヴェネツィア商人は、その”外貨”を持ってコンスタンティノープルへ行く。そして、そこで、必要不可欠な品ではないが西ヨーロッパ人が最も欲しがる、奢侈品を買い求めるのである。
(106ページ)

少なくとも十三世紀までは、文化の程度は、断然、ヨーロッパよりもオリエントのほうが進んでいた。
(107ページ)

はじめに立てた計画を着実に実行するだけならば、特別な才能は必要ではない。だが、予定していなかった事態に直面させられた時、それを十二分に活用するには、特別に優れた能力を必要とする。
(185ページ)

グーグル、ディズニーよりも働きたい「教室」

集団を引っ張っていくのではなく、目標を設定、共有してその集団をまとめられるかどうかというのもリーダーシップだ。
(24ページ)

ビジネスで成功するのは鉄板の成功法則を持っている人ではなく、その都度、状況に合わせて課題を見つけ、それを解決に導くことができる人だ。
(37ページ)

答えを自分で見つけると納得感が違う。教師は教えるのではなく、生徒が自分で答えを見つける手伝いをしてあげる。
(50ページ)

最初は2年がかりで勉強を教えるつもりでいたのに、最初の1年は目標を見つけるために費やすこととなり、予定は大幅に狂った。しかし、目標に向かう意欲があれば、遅れはいくらでも取り返せる。いつから勉強を始めるのかということより、何のために勉強するのかという目的意識のほうが、ずっと大事だ。
(70〜71ページ)

時間の余裕は、心の余裕だ。目の前の仕事に忙殺されて、自分を成長させることをあきらめた先生が生れてもしょうがないのか・・・。
(83ページ)

学校の授業は、生徒が大人数で、暗記中心、板書中心。このスタイルは50年も前から変わっていない。このまま、生徒たちをいい大学へ送り込むだけの授業でいいのだろうか。これから生きていくうえで、子どもたちに必要な教育は、暗記で覚える知識ではないだろう、とも思っていた。自分自身のアタマで物事を考え、他人と問題を共有してうまくやっていけるような、リーダーシップやコミュニケーション、課題解決などの能力だ。暗記の知識はパソコンさえあればすぐに調べられるのだ。
(84ページ)

日本の大学の授業は、理論を学ぶ場。だからとくに予習をしなくても、授業の中でテキストを読みこなしていけばいい。
一方、アメリカの授業は、発表や議論を通じて知識や経験を共有する場になっている。発表や議論をするためには理論を知っておく必要があるが、授業では理論を教えない。理論は各自が事前に予習をすることが前提になっていて、何も予習せずに授業に臨むと、ちんぷんかんぷんでついていけないのだ。
きちんと予習をして授業を理解できても、それだけでは通用しない。事前にインプットした理論は、授業でアウトプットして初めて身につく。授業で重視されるのは、どれだけ他の人にインパクトを与えたか。自ら手を挙げて意見を言わなくては存在価値を認められない。そして授業でそれだけの発言をするためには、内容についていける以上の予習が必要になる。
(100〜101ページ)

学習指導要領の存在も非常に素晴らしい。日本にはこれがあるからこそ、どこへ転校しても混乱が少ないし、基本的な学習の支えになっていると思う。
(107ページ)

いちばん最初にリスクを取って飛び込む勇気のある人というのは、とても優れた人材であることが多い。
(130ページ)

現在、日本全国で就学援助の対象となっている児童・生徒は155万人以上(2010年度文部科学省調査)。これは児童・生徒全体の15%以上で、6〜7人に1人が援助を受けている計算になる。35人学級なら、クラスに5人以上は援助なしに学校生活ができない子どもがいる。これが今の日本の現実だ。
(147ページ)

OECDの調査によると、日本の公財政教育支出の対GDP比は3.6%で、一般政府総支出に占める割合も8.9%しかない(2009年)。いずれもOECD平均の対GDP比5.4%、一般政府総支出比13.0%を大きく下回っている。
日本の場合、私費負担が公的投資の少なさを補っているが、私費負担の割合が高くなるほど、所得格差が子どもの学力に大きく影響することになる。貧困から子どもを救うには、公的支出を増やすべきなのだ。
(154ページ)

仕事の面白さややりがい、つまり「モチベーション3.0」だ。
・・・モチベーション3.0のマネジメントには裁量を与えたり、成長を実感させることが大事だといわれているが、僕が重視しているのは「達成感」と「仲間意識」だ。
(167ページ)

NPOをやっていると、自分たちは正しいことをやっているのだから理解してくれないほうが悪いという思考に陥りがちだ。しかし、独善的な姿勢ではまわりの協力を得られない。寄付集めや受け入れ先の開拓は、一般企業の営業活動と同じ。
(181ページ)

事業をやろうとすると、それを成功させることで頭がいっぱいになり、本来の目的が置き去りにされてしまうことがある。その危険性をよく知っているお二人は、僕がブレないように何度も本来の目的を確認してくれたのだ。
(183ページ)

ローマ人の物語43 ローマ世界の終焉(下)

自分自身に自信が持てなくなった人はしばしば、ちがいをことさら強調することによって自信をとりもどせた気になるからだ。
(16ページ)

少数の勝者で多数の敗者を統治しなければならない場合の鉄則は、既存の統治階級の温存、につきる。既成階級を変革したくとも、それは後に延期すべきで、当面やらなければならないことの第一は、既成階級を安心させることなのだ。
(20ページ)

信仰とは各人の心の問題だから脇に置いて、他の分野で共にできることを共同して行うとする考え方は、多神教にしか可能でないのかもしれない。それゆえ一神教徒にでも期待できるのは、「共生」が限界であるのかも。
(51ページ)

真の問題は、誰によって支配されるか、ではなく、どのように支配されるか、であったのだから。
(74ページ)

政治でも軍事でも行政でも、人間世界の多くのことは「苦」を伴わないでは済まない。ゆえにそれを国民に求めねばならない為政者に必要な資質は、「苦」を「楽」と言いくるめることではなく、「苦」は苦でも、喜んでそれをする気持にさせることである。
(80ページ)

人材を登用するだけでなくその人材を活用する能力が為政者には欠くことは許されない資質であることは、人種にも民族にも宗教にも関係のない、個々人の器量でもあるのだった。
(81ページ)

宗教とか信仰が理性の分野のものではない以上、不都合ではないからというだけの共生は、神の意に背く背信行為になり、それゆえに糾弾さるべきと考える人が必ず出てくる。
(86ページ)

東ローマ帝国皇帝のユスティニアヌスによるアテネのアカデミア廃校公表に対し)
疑問をいだくよりも服従することを人間の「徳」と考える時代に、決定的に入ったということであった。
(105ページ)

人間的なしがらみが薄いと、なぜか人間は私腹を肥やすことに熱中するようになる。
(138ページ)

ナポレオンだったか誰だったか忘れたが、優れた二将は凡なる一将に劣る、と言っている。
(171ページ)